高花平連合自治会
◇高花平の歴史◇


昭和35年11月、四日市に住宅開発公社が誕生し、高花平は住宅開発公社が命運をかけた団地であります。
県下で初めての大規模開発、県や国がハラハラするばかりで、大号令を出されたのは平田市長でした。
市の中心から四キロほど南の天白川の左岸堤防を、古い街並みに沿って更に西に3キロ程上がった広い団地でした。
笹川堤は桜の名所でしたが、堤防に沿った道は片側に三重交通の単線軌道が走っていて、自動車の対向の難しい狭い道路でした。
三重交通の終点八王子駅を過ぎると急な坂になり、坂道は一車線で所々に蛇が卵を呑んだように自動車の 対向所が作ってありました。名づけて地獄坂と言いもちろん舗装はありませんでした。
高花平命名の由来は、初め小林団地(仮称)としていましたが、敢えて改称しようとしたのは難産の末誕生した住宅公社の初事業に、 新しい街造りの意気込みを込める思いがあったからです。
昭和36年3月の「広報四日市」で公募したところ554通の応募があり、335種類の名称の中から選んだ結果、 団地の字名の一つの「高花」が当選しました。
選考委員の記者クラブから「この団地は平田市長だから出来た団地であるから、高花に市長の平の一字を加えて 高花平としたらどうか」という意見が出されました。
高花平団地の造成に公社は公共下水道を計画しました。
これは団地の価値を高めるのと下流の水質低下防止、将来の経費負担を見越したのと後発団地への影響を考えたからです。
こうして公社は勤労者に百万円以内の住宅を提供したのです。