昭和15年頃までの日本の花形輸出産業は生糸と絹織物や綿織物で、日本各地では養蚕が盛んに行われていました。当時、桑畑があちらこちらにありました。 蚕は、春蚕、夏蚕、秋蚕といって年三回飼われました。
短期間に現金収入が得られるので、四郷村でも大変盛んでした。桑摘み、温度と湿度の調節など蚕の世話は、米作りと平行して行われ、農家は目の回るほどの忙しさでした。
こうしてできた繭を煮て美しい生糸をとりだす製糸工業。 輸入した羊毛、綿花から糸 をつむぐ紡績工業が古くから行われていた。
当時有望なメリヤス工業も大正10年頃から四郷では本格的に始められました。
製糸コーナーでは、当時の繭から生糸をとる方法をわかりやすく解説しているほか、当時の農家の作業の様子がわかるような展示が施してあります
当時使用されていた[座繰機」(まゆから生糸を取り出す機械)がわかりやすく展示してあります。
「揚げ返し再繰機」(多条繰糸機)の展示 当時の生糸の展示
2013年06月7日:更新