四郷郷土資料館

四郷の生んだ二大先覚者

この四郷村は、山や谷が多くこれといった資源もない小寒村である。

幕末から近年にかけて、農業のほかに製糸、製茶、醸造、その他関連産業が盛ん になり、近代産業の発祥地として栄え、近隣諸村も羨む経済・文化の豊かな村落となったが、この両先覚者に負うところが大きい。

第五世 伊藤小左衛門翁第五世 伊藤小左衛門翁(1819年〜1879年)

kozaemon 室山に生まれ、幼名小平治、諱を尚長と言った。祖父が始めた味噌の醸造高は、小左衛門の代に大豆2500石を仕込 むまでになった。父や伊藤傳七と共に代官所に出仕し、代官格大庄屋となった。 横浜が開港して生糸や茶が外国人に人気の高いことを知り、文久2年製糸に着手明治7年器械製糸を開業した。富岡 製糸の器械を見て苦心の末、明治9年三重県最初の蒸気缶を入れ、良質の生糸を産し輸出した。維新後の国の財政を支 えた生糸と茶の工場生産に成功した小左衛門は、近代産業の祖と評価されている。 また自店内で始めた私塾をもとに公立小学校を開設した。四郷小学校に銅像と顕彰碑がある。

顕彰碑顕彰碑

第十世 伊藤傳七翁第十世 伊藤傳七翁(1852年〜1924年)

傳一郎と称し小さい時から父について代官所の仕事をした。父と紡績を起こし川島紡績を建て、父九世没後傳七(十世) 知周を名のった。

渋沢栄一の援助を受け、三重紡績会社を発足させた。 大正3年大阪紡績と合併、東洋紡績株式会社を設立、二代目の社長に就き東洋一の紡績工場と称されるまでになり、大正 7年貴族院議員に当選、翌々年社長を辞任した。 終生、小左衛門の薫陶を忘れず、紡績で企業の近代化に尽くした。また村人の働き場に工場を移転したり、役場建設に寄 付をしたり、本籍は生涯室山の実家に置くなど村財政に大きな貢献をした先賢である。

2013年06月07日:更新